堺意外史

Vol.34 西郷立つ、急ぎ帰京。堺県庁だった西本願寺堺別院

 市内に現存する最大の木造建築である方15年余りある本堂などが、第二次世界大戦末期の大空襲による焼失を免れ、表門を入ると聳えるように甍を大きく広げている。大谷派堺別院を南御坊と称されるのに対して北御坊といわれている。初め足利一族が一寺を創建したが廃絶直前、樫木屋道顕が文明2年(1470)、大坂に石山本願寺を営み、浄土真宗を一大教団に発展させた蓮如を招いて、大きな堂宇を再興、今日のもとを築いた。

 明治4年(1871)、桐宇が、堺県(明治元〜14)庁舎に使用されたため、別地へ移転工事を進めていたが、堺県が大阪府に併合されたため、もとに復帰。山門の前には、大きな標柱石に「明治天皇聖址 堺県庁址」と刻んでいるのは、明治10年、天皇がこの県庁に臨幸したからである。堺県は、紡績所などの殖産興業や師範学校・医学校・女学校をはじめ近代国民(臣民)教育として県内小学校の整備が進んでいるとされ、その様子を見にきたわけである。午前中の熊野(ゆや)小学校、午後、県庁で県内の重要産物や紡績所を見た後、宿院近くの川盛仁平宅で宿泊するが、九州で西郷隆盛が決起したとの知らせで急遽、帰京する。じつは、この標柱石が立つ山門のすぐ並びに、ほぼ同じ模様のりっぱな門がある。廃藩置県直後の旧狭山藩の大手門を移築したものとされている。現在、御成門と称され、長年、開閉した様子がない。天皇がこの門をくぐったからの名称とすれば、この門こそが県庁の正門だった可能性がある。

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