堺意外史

Vol.32 安政の大地震・津波と神明擁護璽

 平成7年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災の記憶は、まだ生々しいところであるが、安政元年(1854)伊勢より九州までを襲った大地震、とりわけ大津波は、当時も大きな被害をもたらした(いわゆる南海道大地震)。大阪では、この津波で破損した廻船1121艘、川舟727艘、溺死者273人、落ちた橋10か所、潰れ家3軒、大破損家76軒などの当時の記録は、過少で、じつはもっと大きな被害をもたらし、死者は1万人近かったと「大阪府史」(1989年刊)は述べている。

 このときの旧堺港周辺の被害の状況は、大浜公園内に建てられている高さ2.7mの自然石に大きく擁護璽と刻まれた記念碑と当時配られたかわら版「泉州堺津浪之図」とわかりやすい。この年は、ロシア艦が開国を求めて大阪湾に来航し、幕末の政情不安なときであったから、人々の動揺は計り知れないものであった。

 この記念碑の裏面には、「沖のかたおとろおとろしくなりふためき、暮れなんころ俄に津波たちて、川すしはけしく込いり、引もまたはけしく、川へりに繋し舟ともは、碇網きれ、棹さす力たらず、矢庭に走入し、そこよここへつきあてて、橋八つも崩れ落ち、船はわれ、あるいはつよく損して、見るもおそろしさ、いはんかたなし、地しんつよければ、つなみあると知るべきなり、(中略)堺の人のつゝかもなきありかたさに産(土)神 神明宮・三村宮・天満宮にそのよろこひの幣を捧げ、後の世まても患のなきを祈りて賜りしを、ここに祭るなん」と恐ろしかった地震・津波のすさまじさと後世の人々への教訓、地元の神明神社などへの感謝・加護を祈願しているのである。かわら版の方には、津波がおしよせた旧堺港とそこにつながる内川・堅川・旭川・古川付近「新地」と戎島一帯の被災地図に「橋八つ落つ、死人凡五十七人」と概要が記されている。

(南海高野戦堺駅南西、大浜公園内)

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