堺意外史

Vol.36 中世の堺商人が銭貨を鋳造・流通させる
          富本銭以上の発見

 16世紀、ヨーロッパから波涛万里を越えて堺にやって来たキリスト教宣教師は、町を見て、びっくりした。海外交易と国内の商業を一手に握っており、当時、ヨーロッパ随一の交易都市ベニスと同じだと思った。「全国の金銀の大半が集まってくる」様子をも、まのあたりに見たのだった。

 この時代、貨幣は、金銀銅(銭)の三種が併用流通していた。金銀は重さを量って、多額の決済に当てられた。他方、銭は日常的に使われた。ところが、この銭は、当時の中央政府ともいうべき室町幕府はいっさい鋳造していない。教科書にも中国から銅銭を輸入して国内流通に当てていたと記載されている。宣教師は銭のことまではふれていない。

 しかし、このころ海外・国内とも商業活動が盛んになり、華やかな桃山文化を生んだことは良く知られている。それを支える経済活動の大きさからいっても、果たして、中国銭を輸入して流通貨幣にあてるだけで貨幣需要をまかなえたのだろうか。

 最近、その答えが出てきた。じつは、16世紀中頃から後半にかけて、堺の商人が、町のど真中で、大量に銅銭を鋳造していたことが、発掘調査でわかってきた。その鋳造や未完成の銭が大量出土したからである。本来、中国の銭貨であるはずの開元通宝から洪武通宝に至る21種類もの銭種が確認されている。奈良で古代の和同開珎に先立つ富本銭の鋳造が確認され、大きなニュースになったが、それ以上に日本の貨幣史を塗り替える大発見だったはずである。ところが、一部の新聞は、「堺でニセ銭つくり」と報道したり、一般に大きな話題にならずじまいだった。要するに中世日本国内で流通していたと思われた中国銭のかなりの部分が、「堺製の中国銭」とも言える模造銭ではなかったかと考えられるようになった。なにも堺の商人が、非合法のニセ銭を作り、悪事を働いていたのではない。幕府の権威より、富と流通を握る堺商人の経済力や信用力が強かった。日常商業活動に必要な銭貨を堺が製造・供給していたのである。


 さらに堺商人らしい銭貨の作り方がおもしろい。あり合わせの中国の新旧の銅貨を粘土に押さえつけて型版にしただけの簡単な銭型に銅を流し込んで作っている。それも面倒だと、円型に四角の穴を開けただけの「無文銭」も作るといった、手っ取り早い作り方もしている。それでも国内で流通していたのだから堺はこれまで以上の経済力や信用力があったと言えよう。文献によっても、この銭型などの出土時期より、1世紀も早い文明17年(1485)に「さかひ銭」の表現があり、すでに15世紀後半には、堺で銭貨の鋳造が行われていた可能性が極めて高い。この堺製の銭貨は、中国製と比べて文字がやや不鮮明で、厚みが薄いことが特徴、比較すれば簡単にわかるので当時の人も「さかひ(堺)銭」と中国銭とはすぐ判別できたはずである。だから「さかひ銭」と称されて通用したと考えられる。

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