堺意外史

Vol.17 堺の大工と石工の設計
          築造だった洋式灯台

臨海工業地帯の造成で大阪湾航行の船からはまったく見えなくなった旧堺港灯台は、阪神高速道路湾岸線の橋梁の下になってしまった。しかし、海と港で栄えたまちのシンボルとして観光パンフレットやガイドブックに登場する。今なおイギリス人技師ビグルストン設計・築造の日本最古の洋式木製灯台として紹介されることが多い。最近まで灯台下に文部省・大阪府教育委員会が設置した説明石碑にも設計者はビグルストンになっていたからであろう。


じつは、明治4年に点灯した和田岬灯台(神戸市)と天保山灯台を見聞し、石積み基台は地元の石工・継国真吉、灯塔部にも同じく大工・大眉佐太郎らに設計・工事を請け負わせて、明治10年に完成したものである。

中世以来伝統ある堺港は幕末に一度、開港場に決定されるが「仁徳陵」などの天皇陵が付近にあり、外国人の行動範囲に入るため、勤王派との紛争を恐れ、兵庫(神戸)の開港に変わった。しかし、港ともに盛衰してきた市中の問屋商人にとって港の近代化に賭ける熱意は強く、費用を集め、当時の堺県(明治14年に大阪府へ編入)を動かし、レンズとランプは国の灯台寮(局)から購入、据付のみを先のイギリス人技師らによって行われた。当時参考にした官(国)設の和田岬の八角形、天保山の四角形に対して、六角形の独自のスタイルのうえ、江戸時代の灯明台の袴腰の様式も一部残し、塔室内を畳み敷きにして居室として利用するなど地元設計の特徴がある。なによりも官設の初期の木造灯台は早く破損し、石・レンガ・コンクリート造りに改築されたが、檜造りの本体は約一世紀よく風波に耐えてきた。昭和43年廃灯になり、その後、国の史跡として保存されている。だが、ポツンと放置されたような姿はみっともない。やはり当初の緑色の灯をともし、港の歴史を紹介する資料館もあってしかるべきであろう。

(南海本線堺駅から西へ約800m)

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