堺意外史

Vol.11 ボーダーラインに発達した都市
          堺の地名は境界という意味

堺の都市の名の起こりは、旧地方名の摂津・河内・和泉の境に発達したまち、すなわち普通名詞の境=堺が地名になったといわれている。ふつう国境(くにざかい)は、政治・経済圏や生活活動の広がりの端、縁辺で二つ以上のエリアが接したり、均衡するところで、大河・山岳地帯や荒涼とした荒地であることが多い。だから、珍しい地域での都市の発達といえる。明治維新直後に摂津と和泉の境界を現大阪市と堺市の間を流れる大和川に変えられるまで大小路通りが古代から和泉と摂津の国境線だった。現堺駅と堺東駅を結ぶ東西の道である。方違神社とJR堺市駅の中間付近から東は河内である。私は高校生時代、和泉にある自宅から摂津に位置する学校へ、帰りに道草して河内をとおって帰宅。三か国を歩いていたことになる。


大小路ぞい・市小学校の外壁にほどこされた陶版のモニュメント
(南海線 堺駅から東へ徒歩5分)

 

 

 

 

 

 

 

 



この大小路がもともと堺の発祥の地で中心地であるが、この両側の町名が商業都市として発達したことをみごとに伝えている。南側が市之町、文字どおり市場街・ショッピングゾーンを表している。北側は、湯屋町すなわちヘルスセンター・遊楽街を意味している。明治維新の謹厳実直な役人が風俗街的なイメージを変えようと博識を披露して同音の熊野(「謡曲」の題名にゆや)町と漢字に変えたようだが、一般的には読みがなじめず、くまの町との発音になってしまった。しかし、この通りにある小学校では今でもゆや(熊野)小学校と称している。

最近、市のシンボルロードとして歩道を広げ、タイル張り・けやき並木・ロマンチックな街灯が続き、ぶらぶら歩きができるようになった。これに直交するのが南北のメイン道路・大道である。この大小路交差点こそ堺の中心、ヘソになるが、この位置にヨーロッパ都市のように市民広場やシティホール(市役所)が設けられるのでなく、明治維新後いち早く警察署(現・堺北署)を設置したのは、日本の近代化の特徴である。

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