堺意外史

Vol.07 世界一から日本一に変わった「仁徳陵」
          ― 名称も大山(だいせん)古墳に ―

喧騒な市内の中心部にあって、緑豊かな樹木に覆われた巨大な古墳を拝所から眺めて心が安らぐと感じる人は多い。
しかし、約1500年前の築造時は周辺部が緑の原野で、墳丘全体が河原石による石張り、その上に形象・円筒はにわがずらりと並ぶ巨大な石造建造物として白く輝いて見えた。まったく今と逆の景観だ。5世紀、当時の東アジア世界に遅れて登場した倭国は、この巨大墳墓を築造することによってその組織力・技術力・資材調達力などを内外に見せつけようとしたのである。
現在の神社風の拝所は、幕末から明治以降にかけて天皇制の近代国家形成の過程で新たに付加され、作られたもの。御陵(ごりょう)という言葉もこのときから使われはじめた。
幕末に修陵と称して内堤を閉じる聖域化工事で大きな負担を強いられた付近の農民は、濠水の浄化を名目にして狭山池から周濠への引き水を成功させた。これによって300年以上にわたった濠水によるかんがい用水不足を解消するなど、強化される管理体制に抗してしたたかに生き抜いた。
拝所横の説明板に日本語で「我が国最大の前方後円墳」とあるのに、英語で「世界一の墳墓」と説明があるのは、なんとも噴飯もの。もちろん、『日本書紀』に記すとおりに「仁徳天皇」を葬ったという証明もできていない。最近の教科書の記述も「大山(だいせん)古墳」に変わっている。

(JR阪和線百舌鳥駅西へ約400メートル)

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