堺意外史

Vol.05 空襲のあとが今なお生々しい
          ― レンガ工場事務館 ―

明治維新直後、堺はいち早く近代産業都市として発展してきた。明治元年(1868年)には戎島に全国で2番目に近代紡績工場が設けられ、同3年には工部省鉄道寮が、住吉橋通りに全国初の官営工場であるレンガ製造所が設けられた。堺付近では良質の粘土が採れる上、港に接していて輸送に便利が良いためであった。

明治29年、大阪窯業株式会社が現在の大浜北町に2万5千坪の大工場を築き、全国各地の土木建築、特に鉄道建設にレンガ資材を供給した。10基の煙突から排出する黒煙は大浜の上空を黒く覆ったと伝えられる。その事務館として明治末期から大正期にかけて建築されたと思われる建物が現在も残存している。レンガを芯に、表面はタイル張りのデザインの優れた洋館である。大正13年末、時代の趨勢により工場が撤退したあと、この工場跡は住宅街に開発され、事務館は幼稚園などに転用された。
第2次世界大戦末期1945年7月10日未明のアメリカ軍機による堺大空襲によって猛烈な炎をかぶったが、この事務館跡だけは奇跡的に崩壊しなかった。外装タイルが随所ではがれ、かなりの焼け痕を残したままの姿を50数年後の今日もその外観が維持されているのは、現所有者の国枝医院院長の史跡への深い理解によるところが大きい。この建物は堺で唯一とも言える空襲の跡を明確にとどめる戦災遺跡であるとともに、近代レンガ製造業の産業遺跡としても、明治・大正建築としても大変貴重なものである。
なお、同工場の詳細を刻んだ高さ2m余の記念碑が、このレンガ事務館跡の南斜め向かいにあったが、大浜公園に移された後、残念ながら今は横倒しのまま放置されている。


(戦災当時のままのレンガ工場事務館跡)  
(場所:大浜北町1丁 南海本線堺駅南へ約700m)

 


 

 

 



 

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