堺意外史

Vol.02 戦国厭世の補陀落(ふだらく)渡海
         ― 宣教師が見た堺港沖での集団自殺 ―

価値観が動転して下克上が当たり前、親子・兄弟までもが相争う戦国動乱期のまっただ中の16世紀後半。この時期にはるばるヨーロッパからやってきたキリスト宣教師ガスパル・ビレラが、堺港沖で見た驚天動地の事実を永禄2年(1562)の手紙に記している。

それは、日本人集団自殺ともいえる補陀落渡海の様子であった。「当堺にきたる後、日本人が偽の天国にいく方法を見たり。すなわち艱難多き現世壓き、安静なる他の世を望める者、天国行きを実行せんと決心せり…日本人は国多数あるがごとく天国も多数あり…天国中、海水の下にあるものあり。彼らは衣をあらため、最もよき物を着し、各々背に大石を縛り付け、袖に石を満たし、すみやかに天国に達せんとす。余が見たる人は7人の同行を伴いたり。船に乗り海に投ずる時おおいに歓喜せることは、余が非常に驚きたるところなり」と述べている。神の御心に反するとして自殺を否定するキリスト教信者にとって驚くべき当時の日本人の信仰を伝えている。

ビ レラだけではない。さらに3年後の1565年、ルイス・フロイスの書簡にも堺だけでなく、四国で聞いた話が書かれている。 「一人ずつ深き海、むしろ地獄に投身せり、追随せし人々は、ただちに空虚なる船に火を付けたり」また、これらの行為が常に行われていることも記している。

こ れらの光景を描いたのが、じつはオランダで1669年に発行されたモンタヌスの有名な『日本誌』の挿絵「堺港図」であることがわかった。(下図だ円部参照)

当 時の堺の町は「ベニスのごとし」と伝えられ、また戦国動乱の世にあって、たった一つのピースゾーンでもあったにもかかわらず、 一方で鉄砲等の軍需品を大量に製造・調達し、戦国大名らに売りさばく武器商人の町でもあった。 戦国の世の中は矛盾だらけで、庶民もどこにいても身も心も安堵することが出来ず、 そのため、補陀落渡海信仰なる海中投身自殺が人々の間に広まったと見るべきであろう。

有名でありながら、描かれた地形や風俗がおかしいという理由で歴史資料としてこれまで評価されていなかった「堺港図」。 じつは長く続いた戦争が観音菩薩信仰さえも、恐ろしい様相に変化させていた事実が描かれていたのである。

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